サイト内検索

ゆかりの地

鰻温泉山川:鰻温泉エリア

鰻湖畔にたたずむ江戸時代から続く温泉地で、市内で唯一の単純硫黄泉です。
西郷隆盛は鰻温泉をこよなく愛し、幕末から明治にかけて、幾度も鰻温泉へ湯治に訪れたといわれています。明治7年(1874)、遣韓論に敗れた西郷は、犬13匹を連れて1カ月ほど滞在しました。また、西郷と共に維新の十傑とされる江藤新平との会談も行われた場所です。西郷の滞在時の記録は『樺山資紀文書』に記されています。
※『樺山資紀文書』は時遊館COCCOはしむれ特別企画展で展示中です。

【場所】指宿市山川成川

鰻池山川:鰻温泉エリア

周囲約4km、最深部の深さ約60mの鰻池は、約5,700年前、池田湖とほぼ同じころに噴火した火口湖です。噴火口が陥没して水が溜まり、現在の池になりました。鰻池の名前については、次のような由来があります。「昔々、水田を作ろうとしていたところ、池の底から大うなぎが現れ水路をふさいでしまいました。村人が刀で切りつけると大うなぎは池に逃げ、そのまま生き続けました。以来、大うなぎは池の主と崇められ、この池は鰻池と呼ばれるようになったのです。」

【場所】指宿市山川成川

西郷隆盛の襦袢山川:鰻温泉エリア

西郷隆盛が実際に着用していた襦袢(シャツ)。西郷は鰻温泉を出発する際、お世話になった福村邸の主人に、お礼として猟犬1頭をあげようとしましたが、犬は恐ろしいと主人に断わられました。西郷はその代わりに、自分の着ていた襦袢を脱いで主人に贈ったそうです。この襦袢は、一家の家宝として今も残っており、襦袢を見ると西郷の体の大きさがよくわかります。 ※襦袢は時遊館COCCOはしむれ特別企画展で展示中です。

【場所】指宿市山川成川

鰻温泉の西郷石像山川:鰻温泉エリア

明治7年に鰻温泉に滞在した西郷隆盛。この事跡を伝えようと平成6年12月に旧山川町(現指宿市山川)の故・新原仁次郎さんが建立しました。島津本家のお墓にも使用されている淡い黄色が特徴の山川石で作られた石像。目にはビー玉が埋め込まれるなど、一般的な西郷像と異なる愛らしい姿が特徴的です。

【場所】指宿市山川成川

鰻・西郷どんの道(うなっ・せごどんのみっ)山川:鰻温泉エリア

江藤新平との会談後、西郷隆盛が江藤を指宿港まで送る際に通ったとされる道です。地元のNPO法人縄文の森をつくろう会のメンバーが中心となって、この道は再現されています。現在は、国道226号線や市道を通って鰻温泉行くルートが使われていますが、当時は指宿温泉から山越えするこのルートが使われていたそうです。

【場所】指宿市山川成川~十二町

山川港山川:山川港エリア

西郷隆盛が奄美群島へ二度、出港した際に滞在した港です。二度目の停泊時には1カ月ほど滞在しています。文久2年(1862)6月には滞在中に眼病を患いここで治療したともいわれています。また、山川港は天然の良港として、中世から薩摩藩の貿易港として幕末の藩財政を支えた重要な拠点となっていました。主に琉球の貿易口として利用され、応永年間(1394~1428)には海の関所である津口番所が設置されると、琉球貿易品等の重要な荷物の監査を行っていました。港周辺には琉球から伝わったとされる石敢当(山川石製)も多く残っています。

【場所】指宿市山川金生町

山川郷地頭仮屋跡山川:山川港エリア
No Image

江戸時代における山川郷の政治の拠点。西郷隆盛が奄美群島出港前に停泊した山川港も管理していた、山川郷の政治を司る地頭仮屋跡として、今でも山川石製の石塀が残されています。明治初期に地頭職が廃止されてからは、軍政所、学校、役場と姿を変え、今は市役所山川庁舎となっています。

【場所】指宿市福元区

大山巌馬上像その他
No Image

大山集落センター横にある大山歴史資料館内に、西郷隆盛の従兄弟である大山巌馬上像が保管されています。大山巌元帥の先祖である佐々木氏は中世騒乱の時代に大隅から大山に移住し、大山姓を名乗っていました。近くにある大山神社はその祖霊を祭るものといわれています。この像は大正12年(1923)、大山柏(元帥の長男)が渡米記念として大山神社に奉納したものと言い伝えられています。

【場所】指宿市山川大山

指宿港指宿:指宿港エリア
No Image

江藤新平との会談後、西郷隆盛が江藤を見送った場所です。指宿港は古くから琉球や長崎、遠くは箱館などとの貿易基地として栄えてきました。現在は、種子島・屋久島と本土を結ぶ超高速船「トッピー」や薩摩半島と大隅半島を結ぶ高速船「なんきゅう10号」が就航しています。隣接する太平次公園には、指宿が誇る豪商第8代濵﨑太平次の銅像が建立され、海に生きた太平次を今に伝えています。

【場所】指宿市湊

濵﨑太平次屋敷跡指宿:指宿港エリア
No Image

幕末の薩摩藩を資金面で支えた豪商、「ヤマキ」の濵﨑家屋敷跡。西郷隆盛も濵﨑宅を訪れた記録が残っています。この屋敷には、歴代の薩摩藩主が宿泊されるための部屋が増築されていました。濵﨑太平次の屋敷跡は現在NTTの敷地となり、片隅に記念碑が建立されています。

【場所】指宿市湊

濵﨑太平次と湊浦指宿:指宿港エリア

西郷隆盛と親交のあった濵﨑太平次が拠点とした湊です。その湊浦には濵﨑太平次の本宅跡をはじめ第5代太平左衛門が建立した稲荷神社、当時の町並み、山三の屋号のある江戸時代の屋敷跡や石蔵等があります。

【場所】指宿市湊

二反田川と船溜り指宿:指宿港エリア
No Image

西郷隆盛と親交のあった濵﨑太平次が拠点とした湊の北部には、二反田川の河口(潟口)があります。かつて島津斉彬が二反田川中流域にある「殿様湯」の別邸に逗留する際に船をつけたこの潟口には、岩永三五郎が築いた「潟口の船溜り」が残されています。現在も「信玄積み」で積まれた石垣から当時の姿が垣間見れます。

【場所】指宿市東方

指宿温泉指宿:指宿温泉エリア

文久2年(1862)2月、一度目の遠島から帰った西郷隆盛が休養した温泉。どこの施設か定かではありませんが、奄美大島から戻った後、足痛のため指宿温泉に滞在した記録が残っています。また、明治4年には、西郷の家族イト夫人や子どもたちも訪れています。

【場所】指宿市

殿様湯跡(二月田温泉)指宿:指宿温泉エリア

島津藩主代々の温泉別館となっていたことから、「殿様湯」と呼ばれています。第11代薩摩藩主島津斉彬は、薩摩半島沿岸を巡見した際、33日間の日程のうち23日間も指宿に滞在しました。それほど指宿の温泉を気に入っていたのでしょう。

【場所】指宿市西方

篤姫ゆかりの地指宿:今和泉エリア

今和泉島津家の別邸がある篤姫ゆかりの地。幼少の篤姫が度々訪れており、屋敷のすぐ前に広がる海岸でよく遊んでいたといわれています。宝暦4年(1754)に建てられた今和泉の屋敷は現存していませんが、跡地には石垣や井戸、手水鉢が残っており、当時をしのばせます。島津斉彬の指示で篤姫の婚礼道具を手配した西郷隆盛もこの地を訪れていたのではないでしょうか。

【場所】指宿市岩本

薩摩伝承館その他

幕末から明治初期の豪華な美術品や薩摩の偉人ゆかりの品が多数展示されています。西郷隆盛が所有していた懐中時計や西南戦争の様子を描いた版画など、西郷の生き様を感じられる品も多数展示しています。

【場所】指宿市東方

宮ヶ浜港と商家群その他

江戸時代における揖宿郡の政治・経済・物流の拠点。濵﨑太平次の拠点港のひとつです。島津氏により防波堤(国登録有形文化財 宮ヶ浜港防波堤)が築かれ、現在の国道である谷山街道筋には商家群が並んでいました。その一部は国登録有形文化財に登録されています。

【場所】指宿市西方

開聞岳その他

西郷隆盛は鰻温泉で湯治中、雨の日以外は狩猟のため、猟犬4、5匹とともに開聞岳辺りを訪れていました。獲物のうさぎは3羽ほどで、宿の主人にも分け与えていただそうです。開聞岳は山頂からのなだらかな緩線が美しく、日本百名山の1つとして、別名「薩摩富士」とも呼ばれています。南薩地域を象徴するシンボル的な存在です。

【場所】指宿市開聞十町

鳥越堀切と決湖碑その他
No Image

島津斉彬の指示で始まった池田湖利水事業。池田湖のカルデラ南壁を掘り切り、その水を仙田方面に流水しました。この工事により池田湖は初めて海へ出る川とつながり、新設された川は新川と名付けられました。明治時代に完成を記念した「決湖碑」も残されています。鳥越掘切が望む広域農道沿いからは、池田湖や開聞岳が望め、その眺望はとても素晴らしいです。

【場所】指宿市開聞仙田

ツンだわん!